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瓜生先生についての、
毎日新聞の記事を紹介します。
2012年10月23日

アングラ、フーテン、サイケが風景の68年初め、「発見の会」を一緒に旗揚げした内田栄一から瓜生を紹介された。時代の先端を走る彼らの芝居は、ときに客より舞台の役者が多そうなこともあったが、芝居の枠を超えて多くの仲間が集まった。一方で瓜生ははりなどを習い、78年に池袋駅西口前のロマンポルノ上映館の隣で、鍼灸整体施療のウリウ治療室を開いた。
唐十郎がテント張りで街頭公演をする「特権的肉体論」であったとすれば、瓜生の「演劇的身体論」は内に向かったと思うしかない。発見の会の活動も続け、韓国やアラブ公演もした。韓国では朴正煕政権下で苦しんだ作家や映画人と連帯し。イ・チャンホ監督の「風吹く良き日」「寡婦の舞」やペ・チャンホ監督の「鯨とり」などのフィルムを持ち帰り、83年ころから自主上映をする。わが国での韓国映画劇場公開の突破口となった。
鍼灸整体は”快医学”へと発展し、世界にネットワークを広げ、海外でも彼は講演、研修をしていた。快適な空間の中で宇宙生命の法則にそって、ともに働き、暮らす・・・・・快医学をそんなふうに理解したが、根底は自分の尿を飲むこと、朝の一杯が特に有効という。彼の指導で、医者や薬に見放された難病患者が快癒した多くの事例を知っていても、私はまだ試していない。
60年代に発する新世代の文化の原点に発見の会がある。俳優の牧口元美、秋山ミチヲ、田口トモロウ、僧侶の上杉清文や、南伸坊、橋本克彦、戸井十月、芝山幹郎ら作家たち、作曲家の杉田一夫や音楽集団「渋さ知らズ」が集まり、巣立った。
瓜生は酒食を楽しみ、来る者を拒まず去る者を追わず、世俗既成の権力とはつねに果敢に闘い、そして逝った。 (評論家・松島利行)