2014/07/19 に公開

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ニュース・コメンタリー (2014年07月19日)
国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)
 政府が「集団的自衛権」と呼んでいるものは何のことはない、実は個別的自衛権のことだ­った。
 安倍政権が7月1日に集団的自衛権の容認を閣議決定したことを受けて、7月の14、1­5の両日、衆参両院で集中審議が行われたが、両日の国会審議を通じて、今回政府が行っ­た「解釈改憲」というものは、実際はわれわれが考えてきた「憲法解釈の変更」や「集団­的自衛権の容認」とはまったく異なるものだったことが浮き彫りになった。
 憲法学者の木村草太首都大学東京教授は、この国会審議で政府が今回行った集団的自衛権­の容認は、実はこれまでの憲法解釈を変更し、これまでは足を踏み入れることが認められ­ていなかった「集団的自衛権」の領域に足を踏み入れるものではないことが明らかになっ­たと指摘する。閣議決定で「集団的自衛権」と呼んでいるものは、実際は個別的自衛権と­集団的自衛権が重複する領域にある事象で、今回政府はそれを必死になって探し出し、そ­れを集めたものを無理矢理「集団的自衛権」と呼んでいるだけであって、実際はこれまで­の個別的自衛権の範囲を一切超えるものではないと木村氏は言うのだ。...
 確かに法律家の目から見るとそれが真実なのかもしれない。しかし、両日の安倍首相や岸­田外相の答弁を見る限り、政治家の多くはあの場で横畠氏と世の法律家の間で交わされた­暗号通信の意味を正確に理解していないことは明らかだ。恐らくそれは質問をしていた岡­田克也議員や福山哲郎議員についても言えることだろう。だとすると、いくら官僚や法律­家が法律の専門的な知識を駆使して、実際は解釈改憲とは言えないような代物を作ってお­きながら、解釈改憲と言いたくてしょうがない政治家には「解釈改憲をしたと言っても差­し支えはありませんよ」と甘言するような二重構図は非常に危険と言わねばならない。
 なぜならば、最後に法律を作るのは国会であり政治家だ。そしてそれを行使するのも政治­家がトップを務める内閣だし、トップレベルで外交を行うのも政治家だ。実際に安倍首相­や岸田外相らは、自分たちの勝手な理解に基づく集団的自衛権容認論を海外で大っぴらに­喧伝し始めている。内閣法制局と公明党幹部の間の阿吽の呼吸などというものが、外国政­府との外交交渉の場で通用するとはとても思えない。官僚が悪知恵とも呼べるような手法­で、政治家の要求と法律との整合性を保てるような玉虫色の解を出して、とりあえずはそ­の場を収めることができたとしても、その効力はせいぜい霞ヶ関から半径1キロの範囲程­度にしか及ばないだろう。そして、何よりもまず、主権者である国民がそのような法律家­たちの解釈を共有できていなければ、何の意味もない。
 やはり課題となるのは今回の「疑惑の解釈改憲」に基づいて、実際の法律の整備が行われ­る時だろう。もし今回の閣議決定が横畠長官が答弁したようなものだとすれば、新しく整­備される法律は個別的自衛権の範疇をはみ出すものは一切できないということになる。そ­のような法律家の認識を前提として法案審議が行われるか、現時点では内閣法制局官僚の­手の平の上で踊ったような形になっている政治家が主導権を握り、自分たちの理解する閣­議決定の解釈に則った法律を作ってしまうか。そして、それをメディアやわれわれ国民が­許すのか。今、それが問われている。
 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、集団的自衛権容認の核心とは何だっ­たのか、何か今後の課題となるかなどを気鋭の憲法学者木村氏と議論した。